第22回定例朝食会「『複雑系』から読み解く医療システム」②     (中田力氏)
第22回定例朝食会「『複雑系』から読み解く医療システム」①>>>
(続き)
――質疑応答――

会場――医師というオーダーパラメータをいじるとは、専門医制度の整備だという点について、もう少しお話しいただけますでしょうか。

中田 話題がどんどん細かくなって、それが「どうしてか」だけの話をすると、今度は逆に手続き主義の話になってしまうんですよ。すみません、わかりづらいのですが、オーダーパラメータは専門医制度の整備とイコールではありません。オーダーパラメータは、あくまで医師です。医師をひとつのシステムとして見ます。そしてお金をはずして、医療制度をはずして、医師のシステムの中で、現時点でもっとも注目されるのが専門医制度というだけです。オーダーパラメータは専門医制度ではなく、医師です。そこを誤解のないようにお願いします。日本にも一応専門医制度がありますが、それは手続き主義上つくられたものです。アメリカの専門医制度は、医師が、患者さんがいつでも安心して話のできる存在であることの証を公布している。それのみを目標に制度設計されています。1910年にフレクスナーが確立した理念を守り、それに絶対反しない精神によって貫かれています。

会場――2つ質問させてください。ひとつは、日本の医療制度はアメリカの制度よりかなり貧弱であるとおっしゃいました。それを証明するようなものがあるのかが、ひとつ。また、それを是正するものがオーダーパラメータのひとつである医師の専門医制度であるとする根拠はなんでしょうか。もうひとつは、アメリカのマイケル・ムーアがアメリカの医療の混乱を描いた映画『シッコ』をつくりました。アメリカ医療の専門医制度はすぐれていても、映画のような状態にあるとしたら、本当の意味でアメリカの専門医制度がすぐれていると言えるのでしょうか。

中田 2番目の質問からお答えします。『シッコ』をご覧になった方の中には内容について、たいへん誤解なさっている方が多いように感じます。僕が日本の医療で問題視しているのは、「医療制度」そのものではありません。「医療」そのものが危険なんだと言っているんです。イギリスでも問題になったのは同じでした。すべてのアメリカ国民がどこの国の医療を受けたいかと問われれば、自分の国の医療を選ぶはずです。アメリカのどんなにお金のない人でも、アメリカ医療に対してその能力を疑ってはおりません。『シッコ』で表されたのは貧富の差。つまり、かつては高いレベルの医療をすべての人間が普通に受けられるだけ、アメリカは金持ちだった。それがどんどんお金がなくなって貧富の差が生じ、とにかくアメリカの医療をボロボロにしたんですね。 『シッコ』で表されているのは、医療制度に対する批判ではありません。「医療を受けるのに、どうしてそれほど金がかかるんだ」ということを訴えたかったのです。いずれにしろアメリカの医療が崩壊していない最大の理由は、「医療」そのものへの信頼性がなくなっていないから、医療の、医師一人ひとりのレベルが保障されているからです。
 
続いて最初の質問に答えましょう。典型的なんですが、日本の皆さんはなぜか証明という言葉を好んで使います。証明は、そのバックグラウンドにあるものが正しいことを前提にします。正しいことを前提に何かしなければならないのだとすると、この国は崩壊するしかありません。そして、何が正しいかは社会が決める。私の言いたいことが、わかりますか?言いたいことを理解してもらうために30何年前から、よく私は神を例に出して話をします。本当に神を信じている人たちが、それぞれの神の話を始めてしまったら、もう終わってしまうんですね。それぞれが信じている神が違うのに、「自分の神がいちばん正しい」と言いだしちゃったら、もう殺し合うしかないわけです。

アメリカ国家の中で何が正しいかという問いかけは、僕らは絶対にしません。民主主義ですから、みんなで「どうしようか」と決めるべきだからです。そして、アメリカ国家は何をしているかというと、みんなで決めたことに違反しているかどうかを徹底的に監視しています。何が正しいかがはっきりとわかっていたニュートンの時代までが、現代科学の花の時代でした。21世紀の科学は、何が正しいかどうかがわからない。理論が正しいかはわかっていても、やってみるまで結果がわからないのですね。ですから、21世紀の科学はほとんどがシミュレーション科学と言えます。

では、医療のオーダーパラメータにお金と医師を選びましたが、それだけでけりがつくのか。先ほど申しましたように、基本的に最初に対象とすべきシステムが問題。僕が、今対象にしているのは全体像、本当の全体像です。それに対して、なんらかのサポートがあるのか。アメリカはあれだけ無茶苦茶な国家で、あれだけ無茶苦茶にやってきたのに、医療は良くなっている。それは、1910年にフレクスナーがやったサポートの仕組みに由来します。彼は、1ヵ所1ヵ所、アメリカにある医療機関のすべてを見て歩きました。彼は、見た瞬間に医学部とそのブレインをABCランクに分けて、Cランクの医療機関はその場で閉じさせました。Bランクのところは1年間の猶予を与えてAをめざさせた。フレクスナーレポートを読んでくれるとうれしいのですが、1910年という僕が生まれるより40年も前にそんなことをしていたのですね。たとえば、有名なカリフォルニア大学に夜中に突然行くと、若いやつがひとりで当直をやっていた。その人に聞きます。「お前、何年目なの?」。「卒業して2年目です」。「ひとりでやっていて怖くない?」。「怖いです」。判定はC。わかります?たとえば、日本でAという先生が国家から決められて「日本の病院をみんな見てこい」と言われた。その先生が、東京大学医学部の病院に行って当直をやっていたやつに怖いか聞いたら「怖い」と言った。その一言で、東京大学医学部を廃止したのです。それをやったおかげで、現在のアメリカ医療ができあがった。そこまで厳しい評価にさらされてきたからこそ、アメリカ医療のレベルは高い。つまり、無茶苦茶な中でも生半可な基準をつくらなかったから、現状が生まれた。

ひとつの証明にはならないかもしれませんが、その結果としてどんな現象が起こったか。世界医療がアメリカの医療制度を受け入れました。現在、ヨーロッパからアジアまで、すべてがアメリカのレジデント制度を導入しています。1ヵ国だけ先進国でやっていない国が日本ですね。ですからグローバル医療に負けたんですよ。韓国は、最近まで日本と似た制度でしたが、アメリカ医療に転換することを決めました。ですから現在、大学医学部とメディカルスクールとが半々に存在しています。いちばんレジストしたのは、ヨーロッパ。しかし、ヨーロッパはレジストしたけれども、約15年前にすべてアメリカのやり方を踏襲しました。証明にはなりませんけれども、世界の動きを見てみれば、アメリカの医療のトレーニング制度、専門医制度がいいということは、実は日本以外の先進国すべてが認めているところです。そんな回答でよろしいでしょうか。

会場――「蝶々効果」により最終的にトルネードが起きるとのお話でした。それは、アメリカの文化を前提にすれば腑に落ちるのですが、日本のように制度に足を引っ張られる国では、事象の起こるスピードがまったく違うのではないでしょうか。いつかは起こるかもしれませんが、もしかしたら起こるか否か自体に疑問が残るかもしれない。そう感じました。

中田 すばらしいご質問です。本来なら、アメリカのようにまず現場の試行錯誤があり、そこからの積み上げの結果、国家としてどうするかの議論が生まれ、制度が生まれるのが民主主義の理想です。トルネード効果の発想は、そこが基本になっています。おっしゃるとおり、今の日本にはそのようなプロセスで制度をつくるほどの余裕がありません。そこで、私からのお願いがあるのです。わかっている人間にやらせてくれと。少々トップダウンになりますが、今、私たちはたとえば、内閣府に委員会を設立して最初の全体像を策定させてくれと申し出ています。その理由は、日本の国民は心がきれいだから、トップダウンが通用すると思うからです。アメリカでは、絶対に不可能なことです。さらには、日本の医療界には優秀な人材がそろっているため、「話せばわかる」と思えるからです。アメリカではこの方法論は通用しません。それほどに、多様な価値観を持った人が集まっているのです。「金ならわかる」のですが(笑)。目標のひとつは、専門医制度の整備です。それは、医師がすべきことで、医師以外の専門家に委ねてはならないことです。素人に決定させては、医療は崩壊します。医師が、自分で自分を律しない限りどうしようもないのです。


b0144534_10234320.jpg日本医療政策機構代表理事
黒川 清


太平洋戦争で軍部が犯した過ちのひとつとして、「勝つ」という目的のためにどうするかという論理が皆無であった点が挙げられます。彼らはまるで、「勝つ」=「敵の全滅」と考えていたとしか思えない行動をとりました。細かい戦局の勝敗に一喜一憂したことなどが、その最たる例です。そのような思考は、鎖国の歴史が培ったのかもしれません。そして、今の日本人にも受け継がれています。医療政策にまつわることに、相変わらず「大本営発表」の臭いが漂うのはそのせいでしょう。国民一人ひとりが考え、選んだ結果、政策が決まる社会をいかに築くかがとても重要なのだと思います。私が、中学生や高校生を前に講演するのは、まさにそのためです。

問題はいろいろありますが、たとえば日本のオピニオンリーダーたちの資格について疑問を感じます。典型的なケースが、「アメリカでは」、「イギリスでは」というタイプの論陣を張る人物の経歴を追ってみると、アメリカでの実体験が、大学から派遣されて2年程度のものだったりします。その程度のアメリカ体験で、「アメリカでは」との主張を――、あまつさえ医療制度の例としてアメリカの制度を引用するのは、あまりに不誠実でしょう。そんな人物に限って、大学で教授職を得ていたりもする。わかりもしない人がわかった風に世論を引っ張っている。これは、大本営の犯した罪とまったく変わりのない図式です。

もちろん、海外での体験を持つ人材は貴重ですが、真の生活体験を持つ人材を多く生み出すことが大切です。私は、日本の大学に学部の学生の一定割合を必ず留学させることや、学部の授業の一定割合を英語で行うことを盛り込んだ私案を政府に提案しています。若いうちに海外に出し、海外の人材とコミュニケーションさせ、それぞれの分野で同じ世代間でネットワークを築く。そこからしか日本社会の変革は起きないでしょう。そういう意味で、真の意味で海外生活を体験された中田先生の本日のお話は、たいへん刺激的であり、グローバル時代における日本医療の改革の方向性を明確に示していただけたと思います。
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by hpij | 2009-07-08 20:25 | 医療政策関連
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